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静岡地方裁判所 昭和23年(行)17号 判決 1948年12月14日

原告

河口俊三

被告

主文

原告の請求はこれを棄却する。

訴訟費用は原告の負擔とする。

請求の趣旨

別紙目録記載の不動産に對する被告の所有權取得の無効なることを確認する。訴訟費用は被告の負擔とする。

事実

原告訴訟代理人は、請求原因として、一、別紙目録記載の不動産は原告の元所有に屬する農地であるところ被告は自作農創設特別措置法に基き之を買收することとなつて所定の手續を經た上昭和二十三年五月四日靜岡縣知事の原告に交付した買收令書に依り昭和二十二年十二月二日右不動産の所有權を取得するに至つた二、然るに自作農創設特別措置法に依る農地の買收は新憲法第二十九條第三項に所謂私有財産を公共の爲に用ひる場合であるから「正當な補償の下に」爲されることを要するは勿論である而して茲に補償とは權利侵害の救濟方法ではなく財産(經濟的利益)の喪失によつて所有者に生ずる損失を補填賠償するものだから「正當な補償」と言うためには單に所謂法定價額を支拂うを以て足れりとせず經濟上の實損額を支拂うことを要するものといわなければならない即ち農地の法定價額が經濟的利益の價額と一致する場合は格別その經濟的價額に逹せざる限り補償されざる損失があるからかゝる場合は法定價額による補償を正當なる補償とすることは出來ない。三、ところが被告が買收令書によつて原告に對し支拂う買收農地の對價は自作農創設特別措置法第六條第三項によつて定まつた所謂農地の公定價格であるが現在農地の經濟的價格は右公定價格の十倍乃至二十倍であり昭和二十年頃と雖も公定價格の三、四倍であつたことは顯著な事實であつて之を他の物價と比較するも農地一反歩の公定價格約一千圓を以てしては米一俵木綿反物一反を購入することも出來ない又法定價額反當り金一千圓内外の農地の賃貸人は約百圓の賃料を取得するのを普通とするが政府は農地買收に對する補償方法として二分五厘附農地證劵を發行交付する方法を採るので農地所有は年々賃料の四分の三に相當する損失を受くる勘定となるのであつて以上に述べたところによつても所謂法定價額を以ては「正當な補償」をなすことの出來ないことが明かである元來憲法が抽象的概念的に「正當なる補償の下に」と規定したのは補償すべき損失は經濟的に定まるものでその經濟的事情は常に變動するものであるからその變動に應じて損失を補償することを必要とする關係上定めたものと視るの外はないのであつて又憲法が正當なる補償を要求するのは私有財産尊重の實を現はすに必要なるが爲なるは言う迄もない。

之を要するるに自作農創設特別措置法は新憲法施行前の法令であるが私有財産尊重に關する規定のなかつた舊憲法下に於ては適法であり有効でもあつたけれども新憲法施行に依り憲法第二十九條の條規に違反するに至つた結果憲法第九十八條第一項に依り當然効力を失つたものと言うべきだからかゝる無効の法規に基く本件買收行爲も亦憲法に違反するものなること勿論である從つて本件買收行爲によつては本件農地の所有權取得の効力を生ぜざること當然であるから茲に被告の該所有權取得の無効なることの確認を求むるため本訴に及んだ次第であると述べ尚本件訴訟は行政事件訴訟特別例法施行前に民事訴訟として提起したものであるが元來訴訟が民事又は行政訴訟の何れに屬するかは訴訟の對象たる請求の趣旨によつて定まり所謂請求の理由によつて定まるものでないことは勿論であるところ本件訴状に記載した請求の趣旨は毫も行政處分にふれることなく所有權取得の無効認即ち民法の規定する不動産物權たる所有權が被告に移轉せざることの確認の判決を求めるものであるから民事訴訟に屬するものとして審理せらるべきものであると附陳した。

被告指定代理人は主文と同旨の判決を求め其の答辯として別紙目録記載の不動産が元原告の所有に屬する農地であるところ自作農創設特別措置法に基き買收せらるゝこととなり所定の手續を經て昭和二十三年五月四日靜岡縣知事の原告に交付した買收令書に依り昭和二十二年十二月二日被告國が右農地の所有權を取得するに至つた事實は認めるが其の他の原告主張事實はすべて爭う、要するに原告の主張するところは自作農創設特別措置法第六條第三項に定める買收の對價は名目上の補償に止まり現在の經濟事情を考慮しないものであるから正當な補償ではなく從つてかゝる對價による買收は憲法第二十九條に違反する行政處分であつて無効であるから本件農地の所有權は國に移轉していないものであるというにある。しかしながら自作農創設特別措置法第六條第三項による農地買收の對價は農地調整法に定める農地の價格と同額に定められている。農地の一般取引は現在農地調整法に定める制限の下に許されているるに過ぎないのでありこの法定價格を超えた代金額による農地の取引は法の禁止するところであるから農地の交換價値は今日においてはこの農地調整法に定める價格に相當するという外はなく從つて買收による農地所有權の喪失によつて蒙るべき損失の補償額を客觀的法律的に考察すればこの法定價格に相當するといわざるを得ないのであつて、この價格を超えた闇値によつてその損失を補償すべきものではない。このことは買收對價決定後において經濟事情の變動があつても同樣であつてこれに應じて農地調整法に定める價格が改訂されない以上客觀的法律的な意味においての農地の價格はこの農地調整法に定める價格以外になく從つてこの法定價格と同額の對價によつて農地を買收したとしてもそれは憲法第二十九條第三項に所謂正當な補償の下になされたものと認めざるを得ない。故に本件農地を右自作農創設特別措置法第六條第三項に定める對價によつて買收したのは正當であり、この對價による買收處分は固より憲法第二十九條第三項に違反するものではない。以上述べた如く被告は本件買收は憲法第二十九條第三項により正當な補償の下に行われたことを信ずるものであるが、若し假りに本件買收の對價が正當な補償の額に逹していないとしても、本件買收は自作農創設という公共のために行われたものであるから買收による所有權移轉の効力を生じ原告は右措置法第十四條により對價の增額を請求し得るに過ぎないのであつて正當な補償がないという一事を以てしては買收それ自體の無効を生ずることはない。從つて本件農地の所有權は買收期日である昭和二十二年十二月二日被告國に移轉して居ることは明かであるから本訴請求は失當であるとして棄却さるべきであると述べた。

理由

先づ本件訴訟が民事訴訟なりや或は行政訴訟に屬するやに付考察するに原告訴訟代理人は元來訴訟が民事又は行政訴訟の何れに屬するやは訴訟の對象たる請求の趣旨に依りて定まるものとなるところ原告は本件請求の趣旨に於て毫も行政處分にふるゝことなく所有權取得の無効確認即ち民法の規定する不動産物權たる所有權が被告國に移轉せざることの確認を求めるものであるから本件訴訟は民事訴訟に屬するものなる旨主張するけれども凡そ國が自作農創設特別措置法に基いて行う農地の買收手續は專ら自作農の創設を目的として公益の爲に國の行う行政處分に外ならないから右買收手續の過程に於ける國と農地所有者との關係は一の公法關係に屬すること極めて明瞭である從つて右の公法關係に於ける農地買收處分の無効なることを前提として該公法的原因より生ずる法律的効果の消極的確認を訴求するは性質上正に行政事件訴訟特例法第一條に所謂公法上の權利關係に關する爭訟に外ならざるものと言うべきであるから本件訴訟は右特例法の適用を受くべき行政事件として審理すべきものと認むべく從つて之と異見に出づる原告の主張は採用し難い。

仍て進んで本案の當否に付判斷する。

別紙目録記載の不動産が元原告の所有に屬する農地であつたところ被告國が自作農創設特別措置法に基き之を買收することゝなり所定の手續を經た上昭和二十三年五月四日靜岡縣知事より原告に交付した買收令状によつて昭和二十二年十二月二日附にて右不動産の所有權を取得するに至つたことは本件當事者間に爭ない。そこで抑々右自作農創設特別措置法が原告の主張する如く違憲の法規であつて既に失効したものであるか從つて又之に基く本件農地の買價處分も亦憲法に違反し當然無効たるべきものかどうかに付考察すると自作農創設特別措置法による農地の買收は原告代理人所論の如く憲法第二十九條第三項に所謂私有財産を公共の爲に用うる場合であるから正當な補償を伴はなければならないことは勿論である。

ところで農地買收の對價は自作農創設特別措置法第六條第三項によつて原則として田については地租法による賃貸價格の四十倍畑についてはその四十八倍の範圍内に於て定めることゝなつているがそれは金額にすると田では一段歩當平均七百五十圓畑では同四百五十圓位となることそしてこれは自作者又は地主が一段の田地を所有することによつて毎年納める純益を國債の利廻りで割つて還元して得たる金額即ち收益價格を算出し(畑については右田地の收益價額を基準として算出し)あとでそれを賃貸價格の全國平均額で除して四十倍、四十八倍の倍率をきめたもので結局この値段は收益を基準として計算した自作收益價格であることは當裁判所に顯著な事實である又同法第十三條に依れば農地の買收の相手方たる地主に對してこの買收の對價の外に報償として田にあつては反當り金二百二十圓畑にあつては反當り百三十圓を支給することになつているがこれは地主の反當りの純收益を前の場合と同樣に國債の利廻りで除して還元した地主採算價格と前記自作收益價格の差額からその端數を切り捨てたものであり更に畑については右の田の地主採算價格を基準として計算したものであることも當裁判所に顯著な事實である。

されば要するに買收を受くる農地の所有者は結局買收農地の對價として自作收益價格に前記報償金を加算したる金額即ち當該農地の小作地としての地主採算價格の支拂を受くることゝなるのであるが農地については既に農地調整法により賣買價格が統制せられ右統制額の外に時價なるもののないことは明かであつて而も同法に依れば右統制額は農地買收の對價決定の基準と同一に定めらられて居り一面又農地の所有權は同法によつてその處分使用目的及小作料の支拂等につき種々制限を受くるに至つた結果最早農地は地主に取つては自作收益價格の範圍内に於てだけその土地所有を認められるに過ぎざるか若くは小作料を收納する收益財として利用しうるに過ぎないものとなつたことが明かだから前記のように地主に對し農地買收の對價として自作收益價格の支拂の外に報償金の支給がなされ結局地主採算價格迄の補償が與へられることは十分にして正當な補償がなされたものと言はざるを得ない。

尤もその後米價其の他農産物の價格が著しく引き上げられたことは公知の事實であり又所謂インフレの昂進に伴ひ諸物價も甚しく昂騰するに至つたことも掩うことの出來ない事實であるけれども米價農産物價格の引き上げや諸物價の値上りは主として生産費の騰貴したことに基因するのであるから生産に何等關係のない地主には影響のあるべきものではなく又小作料は引上げを許されて居らず依然として買收基準價格決定當時のまゝであることを考えるとこの收益價格を引上げる理由の毫もないことが明かである又インフレの昂進につれ貨幣價値が著しく下落したことも何人も否定することのできない事實ではあるが前記のように地主の農地が單に收益財として一定の小作料を收納しうるに過ぎないものである以上恰も銀行預金者がインフレのために貨幣價値が下落したとの理由でその預金の增額が認められないのと同樣インフレのために直ちにその買收價格の引上げを要求することも亦許されないこと極めて明かであると言はなければならない。

之を要するに自作農創設特別措置法による農地の買收は正當な補償の下に行はれるものと認むべきものであるから該法規が憲法第二十九條に違反し既に効力を失つたものであるとの主張は到底理由ない從つて既に効力を失つた右法規に基く本件農地の買收處分も亦無効であるとの主張も到底採容することができない。

しかのみならず右の農地改革立法は法律の形式になつては居るがそれは明かに連合軍の指令に基くもので超憲法的な權力に基いて制定された法律であり從つて之が嚴正にして強力な實施はわれわれ日本國民にとつての不可缺な至上命令であるのだからその規定の内容が違憲なりとして其の効力を云爲するが如きことは到底許されないところであると言はなければならない。

仍つて原告の本訴請求は以上何れよりするも到底維持することができないから失當として之を棄却すべきものとし訴訟費用の負擔に付民事訴訟法第八十九條第九十五條を適用して主文の通り判決する。

(目録省略)

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